あなたの家では、肉じゃがに入れる肉は何ですか?
わたしの家では豚肉が入っています。
肉じゃがに入れる肉って、てっきり豚肉が定番だと思ってたのに、「牛肉が入っている肉じゃがもある」と知って、軽いカルチャーショックに。
西日本は牛肉。東日本は豚肉。
実は、日本のちょうど真ん中あたりできれいに、牛肉派と豚肉派に分かれるてるんです。
西日本は牛肉。東日本が豚肉。
(私は愛知県で豚肉派!)
でも、なんで西日本は牛肉で、東日本は豚肉を入れのか気になりませんか?
これは、公家と武士が関係しているんだそうです。
えっ、どういうこと?と思いますよね。
西日本は公家社会、東日本は武士の社会だったから
「チコちゃんに叱られる(2020年7月31日放送)」で静岡県立農林環境専門職大学の祐森誠司教授の解説をまとめると・・・
西日本は牛が活躍
飛鳥時代、奈良時代、平安時代は公家が政治を行っていました。舞台は奈良、京都。
そして、牛が活躍していました。
牛は力が強くゆっくりとした動きで、人々が扱いやすく、水田などの農耕に。また公家の移動を手伝う動物として重宝されました。
東日本は馬が活躍
平安時代後は、武士が政権をにぎり、鎌倉時代(1185年~)になり、政治の舞台は東日本に移ります。
ここで、実を言うと、東日本は豚ではなく馬が活躍するのです。
牛は西日本には広まりませんでした。
なぜなら、日本の真ん中にある大きな山脈、天竜川などの大きな川のおかげで、東へは移動するのが難しかったのです。また、関東は草が少なく、牛よりも胃袋の小さな馬の方が生息に適していました。
そして、武士と言えば戦。ゆっくりな牛よりも俊敏な馬が合っています。
でも、馬?豚はどこに?となりますが・・・
豚は島で定着
豚は戦国時代入ってから、沖縄と九州の間の島々に伝わりました。
しかし、明治時代になるまでは、食肉の文化が無いので、そのほかにこれといった用途がなく、本土には広まりませんでした。
明治時代になり、食肉文化が変わる
実は江戸時代までは、仏教の教えもあり、牛や馬などの動物の肉は食べることは禁止されていました。しかし、明治時代を迎え、文明開化で西洋の食肉文化が広まり、牛肉が食べられるようになります。
まだ、明治時代初期のころは、牛肉が主流で豚肉はあまり食べられていませんでした。
しかし、あることがきっかけで豚肉も広く食べられるようになりました。
戦争がきっかけで豚肉が広まる
戦争がきっかけで豚肉が広く食べられるようになったんです。
日清、日露戦争と立て続けの戦争で、この時、軍隊の食料に缶詰の牛肉の缶詰が採用され、牛肉が品薄となり価格が高騰。
豚は雑食性のためすぐに大きくなり牛肉に比べて安価。それがきっかけで豚肉が広まりました。豚カツやカツレツも誕生し、豚肉の需要も大きくなります。
さらに、太平洋戦争終戦後に広まります。
国民に栄養の高い食料を提供しようとの方針と、戦後の貧しい食糧事情から、栄養面が高く安価な豚肉がピッタリ。(豚は食肉に育つまでに約6か月。これは牛の5分の1の期間。繁殖力も高い)
豚肉は西日本に広まらなかったのは?
ところで、なぜ豚肉は西日本に広まらなかったのでしょうか?
すでに、牛の文化が長い歴史で定着していたため、豚肉は広まらなかったようです。
というわけで、東日本は豚肉、西日本は牛肉という図式ができあがったわけです。
まとめ
いかがでしたか?
肉じゃがに入れる肉が、東日本と西日本で豚肉と牛肉に分かれていました。
豚肉は東日本で食べられるようになったのと、牛肉が西日本で食べられるようになった経緯には、古くは公家社会と武家社会が関係し、食肉としては明治以降で、また豚肉が広く食べられるようになったのは戦争が大きく関係していました。
なぜ、東日本では豚肉、西日本では牛肉なのか、お分かりいただけたでしょうか。
なるほど!と思っていただけたら幸いです。
以上、肉じゃがに入れる肉、牛肉と豚肉どっちなの?でした。
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