運動会って、赤組と白組にわかれて競い合いますよね。
でも、なんで、赤と白なんでしょうか?
それは、源平合戦が由来といわれています。
詳しく見ていきましょう!
赤組と白組は源平合戦が由来
時代背景
学校の歴史の授業でご存じの方は多いと思いますが、源平合戦の時代背景を簡単に説明します。
時代は平安時代の末期にまでさかのぼります。
その頃は藤原氏をはじめとする貴族の力がすっかり衰退。各地で武士が台頭してきます。
そして、次第に二大勢力の争いになっていきます。
ご存じ、東の「源氏」と西の「平家」です。
初めの頃は平家が優勢でしたが、(平清盛の頃に全盛期を迎える)最終的には、源氏である源頼朝が平家を討ち、鎌倉幕府を開きます。
その時代の戦い、源平合戦が由来となっているのです。
話はそれますが、令和4年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」はこの時代のことが描かれています。
戦い方が変化して赤と白の旗が誕生
武士の戦い方というのは、最初の頃は「一騎打ち」でした。
実際「一騎打ち」という言葉も、この源平合戦から生まれた言葉といわれています。
お互い名乗りあってから戦うのが暗黙のルールでした。
「やぁやぁ、われこそは、○○なり~!」「われこそは、○○なり~、いざ!」
しかし、合戦が大規模化・全国化していくことで、この戦い方が次第に変わっていきます。
例えば、奇襲を仕掛けたり、集団で襲ったりなど。個人戦だったものが、集団戦へ。
集団戦になるにつれて、困ったことが出てきます。
それは、鎧兜(よろい・かぶと)を着ているため、敵味方の判別がつかず、同士討ちの危険まであること。
そのため、源氏が白旗、平家が赤旗を掲げて戦うようになりました。
なぜ源氏は白、平家は赤なの?
これには諸説あります。
源氏が白なのは
「白」は「神の清らかさ」を表していて、源氏は八幡神を信仰していたから。
平家が赤なのは
平家は祖先が天皇家の流れを汲んでいるということをアピールしたかったため。
「赤」は「太陽」の色を表し、太陽の神様「天照大神(あまてらすおおみかみ)」は祖先とする天皇家の祖先とされていることから。
ちなみに、この戦(いくさ)で使う旗ですが、のちには「赤、白」といった色だけでなく、「家紋」も入るようになります。よりどこの所属かを示すようになりました。
運動会で赤白に分かれるように指導
明治時代の運動競技の教職本に、チーム分けについて出てきます。
「生徒を二分して源平・・・」と「紅旗白旗・・・」とありますね。
こうして、明治時代の運動会の頃には「赤組」「白組」と分かれて競い合うようになり、現在に至っているわけです。
ちなみに、日本で初めての運動会は・・・
1874年(明治7年)3月21に、海軍兵学校でおこなわれた「競闘遊戯会」というのが、日本初の運動会といわれています。英国人・英語教師の指導のもとでおこなわれたそうです。
学校で使う「赤白帽」いつからあるの?
赤白帽は、昭和時代に生まれました。
昭和の中頃~後期に活躍した落語家で喜劇俳優の柳家金語楼さんが発案。発明後すぐに全国に広く普及していったそうです。
以上、運動会って、なぜ赤組と白組なの?由来は源平から でした。
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