サティの有名な曲「ジムノペディ」とは一体どんな意味?

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ジムノペディ意味

ジムノペディって、聞き慣れない言葉だけど、一体どういう意味?

そんな疑問を持つ人、結構いるのではないでしょうか。

 

「ジムノペディ」はエリック・サティの曲で、曲自体は超有名です。

誰もが必ず耳にしたことがある曲でしょう。

ジムノペディ第1番

このタイトルの「ジムノペディ」、意味もよくわからないですが、日本人には聞き慣れないような言葉で、そもそも何語かも分からないですよね。

 

そこで、ジムノペディの意味について、調べてみました。

 

ジムノペディの意味は?

儀式の名前が由来

古代ギリシアの儀式「Gymnoppaedic」に由来しています。

 

「Gymnoppaedic」とはどんな儀式

裸の青少年たちが踊って、古代ギリシアのアポロンやバッカスなどの神様たちをたたえる祭典・儀式。

Gymnoppaedicは、ギリシア語で

  • 「gymnos」=「裸の」
  • 「pais」=「子ども・少年」という意味

という意味の単語が重なったもの。

 

なぜ、サティはこのタイトルを?

説1・・・儀式(Gymnoppaedic)の様子を描いた「古代の壺」を見たのがきっかけ。

説2・・・サティが愛読したフローベール「サランボー」という小説からインスピレーションを得た。

※サランボー・・・第一次ポエニ戦争後の古代カルタゴを舞台にした長編歴史小説。

 

ジムノペディはどんな曲

原題はフランス語で「3Gymnopédies」、「3つのジムノペディ」と言います。

ピアノ独奏曲で、第1番から第3番までの3曲で構成されています。

1888年、サティが22歳の時に作くられました。

 

それぞれに指示があり、

第1番「ゆっくりと苦しみをもって」
第2番「ゆっくりと悲しさをこめて」
第3番「ゆっくりと厳粛に」

とそれぞれに指示があります。

有名でよく耳にするのは第1番でしょう。

 

第2番と第3番はこんな曲です↓

ジムノペディ第2番


ジムノペディ第3番

エリック・サティってどんな人?

エリック・サティ

画像提供「ウィキペディア・エリック・サティ」

生年月日・・・1866年5月17日(日本はもうすぐ明治時代。大政奉還が1867年)

亡くなった日・・・1925年7月1日(日本は大正14年頃。瀬戸内寂聴さんが3才ごろ)59歳。

つまり日本でいうと、明治時代初期から大正時代末期に活躍した人です。

 

フランスの作曲家。フランスのノルマンディー地方オンフルール生まれ。

「音楽界の異端児」「音楽界の変わり者」と呼ばれました。

 

20代の頃は、黒猫(シャ・ノワール)というパリのカフェに入りびたりでピアニストのアルバイトもしていたそうです。この頃にジムノペディが作られています。他に有名な曲「グノシエンヌ」もこの頃。

黒猫では、様々な著名人と交流しています。「月の光」で有名な作曲家ドビュッシーや、天才画家のピカソなど。

 

サティの晩年は・・・

アルコール中毒が原因で亡くなりました。享年59歳。

サティのジムノペディの他に有名な曲は

ジュ・トゥ・ヴー

サティが1900年(34歳)に作曲したシャンソン。日本語で「あなたが欲しい」。優雅で心地よいワルツの曲です。サティの曲中で最も親しまれている作品の一つといっても良いでしょう。

 

グノシエンヌ第1番

ピアノ曲「3つのグノシエンヌ」の中の第1番。24歳時の作品。サティの曲中で、特によく知られている作品の1つでしょう。

 

いかがでしたか?

なるほど!と思っていただけたら幸いです(^^)/

以上、サティの有名な曲「ジムノペディ」とはいったいどんな意味?でした。

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