ロダンといえば、彫刻「考える人」。あまりにも有名な作品で、とくに彫刻や美術に興味がない人でも、たいてい知ってると思います。
そこまで有名ではないけど、そのロダンの作品で「カレーの市民」という傑作があります。
この「カレーの市民」は、ロダンがフランスのカレー市から依頼をうけて作品を作ることになったんだけど、その題材となるエピソードがなかなか面白かったので、今回この記事で紹介します。
カレーの市民のエピソード
百年戦争時のカレー市が舞台
時代は、百年戦争。これはイギリスとフランスの間で起こった1337 ~ 1453年も続いた戦争。
時代としては、ロダン(1840~1917年没 77才)の活躍する時代の500年ほど前の話。(今からだと650年ほど昔の話)
舞台はカレー市。カレー市はフランスにある港町。その港町がイギリス軍に1年以上も包囲され、市民は飢餓寸前においこまれてしまう。
カレー市民6人が「いけにえ」になれば市は救われる
イギリスの王(エドワード3世)は、市の主要メンバー6人が裸に近い格好で首に縄を巻き、城門の鍵を持って歩いてくるよう要求。
そうすれば、これ以上カレー市を攻撃せず他の市民たちを救うと持ち掛ける。
もちろん出頭した者は処刑されるだろう。
そんな中で、自分の命をかえりみずウスタシュ・ド・サン・ピエールが最初に志願。すぐに5人の市民がそれに続く。勇気ある6人の運命は・・・
勇気の6人の運命は?
じつは、この6人はイギリス王妃の懇願によって命が助かりました。(あ~良かった。)
この時、王妃はお腹に赤ちゃんを身ごもっていて、生まれてくるこどもにとって、このような処刑をしてしまうのは縁起が悪いと王へ懇願。
彫刻「カレーの市民」は、すぐ設置されなかった!?
カレー市は、自分の命を惜しまず市民を救ったウスタシュ・ド・サン・ピエールの勇気を称え、記念碑建設を決定。
そして、ロダンが指名されます。ロダンはカレーの市民6人のエピソードに感動。
「その記念碑に携われるとは、なんと栄誉なことだろう。」ロダンは、金銭的な負担を背負ってでもいいと、制作費も高額なものは請求しないで、喜んで製作することを受けます。
そして、依頼から約4年の歳月をかけ完成。
しかし、市はすぐに設置することを拒み、完成後から除幕式までに7年もかかことに(‘Д’)
(え~、なぜ・・・)
なぜ、完成後から除幕まで7年も?
カレー市としてはウスタシュ(上の画像で右端のカギを持ってる人)の華々しい英雄像を期待していたのだが・・・
実際、ロダンが作り上げたのは、ウスターシュ1人だけでなく6人の市民が、それぞれが絶望と苦悩にまみれ、首に縄を巻き裸足で市の門を出て行く群像だった。
英雄像を期待していたカレー市は、ロダンの感動的な人間像を理解できずに拒否。「もっと英雄らしい気高い姿を描写するべきだ」と非難を浴びてしまい、結局、完成後から除幕式までに、なんと7年もの歳月を要してしまった(‘Д’)
このロダンの発想は当時では前例のないものだった。
ロダンは「私の示そうとしたものは、あの時代の自分たちの名前も出さないで犠牲に身を投じたような市民だったのです」(高村光太郎訳『ロダンの言葉抄』岩波文庫)と自身の心情を語り残しています。
カレーの市民は沢山ある?
実は、「カレーの市民」は世界に12あります。(原型から鋳造されたもの)
「カレーの市民」がある12の場所
- カレー市(仏):庁舎(1895年)
- コペンハーゲン(デンマ):ニイ・カールスベルグ・グリプトテク美術館(1903年)
- ベルギー (ベルギ)王立マリーモン博物館(1905年)
- ロンドン(英):ウェストミンスター宮殿(1908年鋳造、1915年設置)
- フィラデルフィア(米):ロダン美術館(1925年鋳造、1929年設置)
- パリ(仏):ロダン美術館(1926年鋳造、1955年美術館に寄付)
- バーゼル(スイス):バーゼル市立美術館(1943年鋳造、1948年設置)
- ワシントン(米):スミソニアン博物館(1943年鋳造、1966年設置)
- 東京(日):国立西洋美術館(1953年鋳造、1959年設置)
- カリフォルニア(米):ノートン・サイモン美術館(1968年)
- ニューヨーク(米):メトロポリタン美術館(1985年鋳造、1989年設置)
- ソウル(韓):サムスン芸術文化財団ロダン・ギャラリー(1995年)
※鋳造年順、( )内は鋳造年。
参照:Wikipedia
日本も入っており、東京の国立西洋美術館にあります。
なぜ、カレーの市民が複数あるの?
上記でも紹介したように、「カレーの市民」のエディション(原型から鋳造したもの)は12あります。
ここで、疑問が湧きませんか?
なぜ、いくつもあるの?
これは、絵と違い、原型というものがあり、その型によって同じものをいくつも造れる(鋳造)からで、版画も同じで、元の型版があるので何枚も印刷できたりします。
ただ、作者によって何点まで作るか決めたり、その作者が亡くなった後はどうするの?といった問題もあります。
今回のロダンについて言えば、
ロダンの亡くなった後、原型の管理はフランス政府が行うことになり、ロダンの遺志「死後もその作品を世界に広めていきたい」ということもあり、死後も鋳造されていきます。
しかし、オリジナリティーの議論などから、フランスは、法律でその鋳造数に制約を定め、12点までをオリジナル作品とし販売できる、としました。
それで、原型から鋳造した「カレーの市民」が世界で12あるわけです。
以上、カレーの市民のエピソードについてでした。
歴史ってロダン(浪漫)だな~。では、また!
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